2004/02/21 (土)
仕事がひと段落して、今日からとりあえず脚本に戻れます(^^
今回この脚本を書くにあたり様々な本を読みました。
主に、脳や記憶に関する内容で、気がつけば結構な量になっていた。
この知識を丸々脚本に活かせるかといえば、まったくもってそんな事はなく。
10%も活かせて入ればいいほうで、90%以上が表に出ることなくオレの頭の中に留まっているのです。
けど、ムダかといえばそうでもない気がします。多くの情報の中から映画に最適な知識を選別できた事はとてもよいことだと思うのです。それに、表には出てこなくても事柄の裏づけになっており物語に厚みが出たと思いたい所存であります。
まぁ、オレが書きたいのは映画の脚本であって、論文や哲学書、医学書ではないし。
あくまでもそれら知識はエッセンスに過ぎず、けしてメインであってはいけないと思うのです。
しかし、ここまで1つの事を調べ続けるとついついひけらかしたくなってしまうもので・・・でも、それら知識をムリに盛り込もうとするとセリフがうるさくなってしまう。なかなか苦しいところです。
盛り込みたくても盛り込めない話にサヴァン症候群があります。脳や精神に障害を持っている人が特殊な能力を発揮するというアレです。この極端に偏りのある脳機能保有者は脳みその謎を解き明かすにはとても貴重で、とても興味深い存在なので、必ずといっていいほどどの本にも出てきます。
・・・が、今回のお話はサヴァン症候群については一切触れません。
あぁ、語りたい・・・語りたいが使えない。
そんな欲求を日記で解消するわけです。
この日記を読んでいる熱心な極極一部の方はすでにご承知の通り、マルチタスクとシングルタスクという言葉があります。
一度に複数の処理を行うのがマルチタスク。
一度に一つの処理しかできないのがシングルタスク。
これまで、さもシングルタスクが旧世代で低機能というような表現をしてきましたが、これは大きな間違いです。
例えば、どんなに高性能のパソコンでも同時に複数の作業をやらせたら作業が遅くなります。それは能力をそれぞれの作業に分担しているからです。
人間の脳もこれと同じで、不器用なオレですら実は高度なマルチタスク処理を行っているのです。一生懸命脚本のことを考えているつもりでも、脳の片隅では無意識に余計なことを考えまくっているのです。
「ウイイレ(サッカーゲーム)やりたい」「TVみたい」「掲示板に新しい書きこみあるかな?」等々・・・
これら、処理を徹底的に省けば脚本への能率は飛躍的にアップするはずです。
・・・が、いまやそれを意識的に排除する事は出来ません。
なぜならば、ウイイレもTVもインターネットも楽しいという事を知ってしまっているからです。
我々の世界は楽しいことであふれかえっています。簡単に至福を得られるのです。
だから脚本制作の能率が上がらないのです!!
サヴァン症候群の人々にはこれがありません。
例えば言葉は一切しゃべれないけど一度聴いた音楽をすぐに演奏できるようなサヴァン症候群の人は、世の中にあふれる様々な至福を理解できません。ただ、音楽をそっくり再現することで周りの人間が喜んでくれる。ただこの一点に至福を感じるのです。
だからこそ、彼の脳は音楽を忠実に再現すること一点に集中できるわけで、脳機能の全てをそこに注ぎ込むことができているわけです。完璧なシングルタスク機能を得ているのです。
ちょっとした、自慢話になりますが実はオレも子供の頃、これに近い才能を発揮しておりました。
言葉もおぼつかない3〜4歳の時に、かなりの数の万国旗と国の名称を恐ろしく正確に記憶していたです。
これは、実家が家具屋で両親ともお店で大忙し、そして、そこにいるオレは親にかまってもらえなくてつまらんわけです。ところが、近くにある学習机のデスクマットに描かれた万国旗を指差して国名を言い当てると両親は「うちの子は天才だ!!」と哀れなほど喜ぶのです。
おそらく世にある様々な至福を理解できない当時のオレは、唯一至福を得られるこの作業に夢中になったわけで、その小さな脳みその機能の全てをそこに注ぎ込んでいたからできた芸当なのです。
・・・が、残念ながらその驚異的な記憶力も言葉を覚え、遊びを覚え、酒を覚え、女を覚え、ウイイレを覚えた今となっては、そのかけらもございません。
それに「こんなもの覚えてもクソの役にも立たないし、合コンでも使いづらい」という知識も得ておりますので、今となっては万国旗になんの興味も示しません。
実は、先ほど話した音楽を忠実に再現するサヴァン症候群の子も、「重症低能児」とみなされ特殊学校で訓練を受け、言葉をしゃべれるようになるにつれて音楽を再現することができなくなりました。そしてただ普通に話すことのできる我々とかわらん平凡な人間となってしまいました。
これが、いいことなのか悪いことなのか分かりません。
少なくとも言葉がしゃべれて当たり前の平凡な我々にとっては不利益な行為とも見れます。
ただ、実際は右にあった砂を左に移したに過ぎないわけで、砂そのものの量は変わっておらんのです。
もしかしたら、教育とは共有知識とは、砂をトンボでならす行為。つまり我々を平等に・・・しかし平凡にしたてあげるための行為なのかもしれません。
あとは、各自おのおの考えてみてください。
これより自習にします。
【脚本の進行状態】
■■■■■■■■□□-80%
今回この脚本を書くにあたり様々な本を読みました。
主に、脳や記憶に関する内容で、気がつけば結構な量になっていた。
この知識を丸々脚本に活かせるかといえば、まったくもってそんな事はなく。
10%も活かせて入ればいいほうで、90%以上が表に出ることなくオレの頭の中に留まっているのです。
けど、ムダかといえばそうでもない気がします。多くの情報の中から映画に最適な知識を選別できた事はとてもよいことだと思うのです。それに、表には出てこなくても事柄の裏づけになっており物語に厚みが出たと思いたい所存であります。
まぁ、オレが書きたいのは映画の脚本であって、論文や哲学書、医学書ではないし。
あくまでもそれら知識はエッセンスに過ぎず、けしてメインであってはいけないと思うのです。
しかし、ここまで1つの事を調べ続けるとついついひけらかしたくなってしまうもので・・・でも、それら知識をムリに盛り込もうとするとセリフがうるさくなってしまう。なかなか苦しいところです。
盛り込みたくても盛り込めない話にサヴァン症候群があります。脳や精神に障害を持っている人が特殊な能力を発揮するというアレです。この極端に偏りのある脳機能保有者は脳みその謎を解き明かすにはとても貴重で、とても興味深い存在なので、必ずといっていいほどどの本にも出てきます。
・・・が、今回のお話はサヴァン症候群については一切触れません。
あぁ、語りたい・・・語りたいが使えない。
そんな欲求を日記で解消するわけです。
この日記を読んでいる熱心な極極一部の方はすでにご承知の通り、マルチタスクとシングルタスクという言葉があります。
一度に複数の処理を行うのがマルチタスク。
一度に一つの処理しかできないのがシングルタスク。
これまで、さもシングルタスクが旧世代で低機能というような表現をしてきましたが、これは大きな間違いです。
例えば、どんなに高性能のパソコンでも同時に複数の作業をやらせたら作業が遅くなります。それは能力をそれぞれの作業に分担しているからです。
人間の脳もこれと同じで、不器用なオレですら実は高度なマルチタスク処理を行っているのです。一生懸命脚本のことを考えているつもりでも、脳の片隅では無意識に余計なことを考えまくっているのです。
「ウイイレ(サッカーゲーム)やりたい」「TVみたい」「掲示板に新しい書きこみあるかな?」等々・・・
これら、処理を徹底的に省けば脚本への能率は飛躍的にアップするはずです。
・・・が、いまやそれを意識的に排除する事は出来ません。
なぜならば、ウイイレもTVもインターネットも楽しいという事を知ってしまっているからです。
我々の世界は楽しいことであふれかえっています。簡単に至福を得られるのです。
だから脚本制作の能率が上がらないのです!!
サヴァン症候群の人々にはこれがありません。
例えば言葉は一切しゃべれないけど一度聴いた音楽をすぐに演奏できるようなサヴァン症候群の人は、世の中にあふれる様々な至福を理解できません。ただ、音楽をそっくり再現することで周りの人間が喜んでくれる。ただこの一点に至福を感じるのです。
だからこそ、彼の脳は音楽を忠実に再現すること一点に集中できるわけで、脳機能の全てをそこに注ぎ込むことができているわけです。完璧なシングルタスク機能を得ているのです。
ちょっとした、自慢話になりますが実はオレも子供の頃、これに近い才能を発揮しておりました。
言葉もおぼつかない3〜4歳の時に、かなりの数の万国旗と国の名称を恐ろしく正確に記憶していたです。
これは、実家が家具屋で両親ともお店で大忙し、そして、そこにいるオレは親にかまってもらえなくてつまらんわけです。ところが、近くにある学習机のデスクマットに描かれた万国旗を指差して国名を言い当てると両親は「うちの子は天才だ!!」と哀れなほど喜ぶのです。
おそらく世にある様々な至福を理解できない当時のオレは、唯一至福を得られるこの作業に夢中になったわけで、その小さな脳みその機能の全てをそこに注ぎ込んでいたからできた芸当なのです。
・・・が、残念ながらその驚異的な記憶力も言葉を覚え、遊びを覚え、酒を覚え、女を覚え、ウイイレを覚えた今となっては、そのかけらもございません。
それに「こんなもの覚えてもクソの役にも立たないし、合コンでも使いづらい」という知識も得ておりますので、今となっては万国旗になんの興味も示しません。
実は、先ほど話した音楽を忠実に再現するサヴァン症候群の子も、「重症低能児」とみなされ特殊学校で訓練を受け、言葉をしゃべれるようになるにつれて音楽を再現することができなくなりました。そしてただ普通に話すことのできる我々とかわらん平凡な人間となってしまいました。
これが、いいことなのか悪いことなのか分かりません。
少なくとも言葉がしゃべれて当たり前の平凡な我々にとっては不利益な行為とも見れます。
ただ、実際は右にあった砂を左に移したに過ぎないわけで、砂そのものの量は変わっておらんのです。
もしかしたら、教育とは共有知識とは、砂をトンボでならす行為。つまり我々を平等に・・・しかし平凡にしたてあげるための行為なのかもしれません。
あとは、各自おのおの考えてみてください。
これより自習にします。
【脚本の進行状態】
■■■■■■■■□□-80%



